白日の下で  緒方ゆうか Official Blog Site

イエメンより帰国し念願の日本ライフを楽しんでいます 読んだ事、考えた事などアップしますのであなたの考えも聞かせて下さい。 国連開発計画イエメン事務所で勤務中に書きはじめ、帰国して医学部受験勉強、2015年5月1日からは熊本市議会議員の悲喜交々を綴り中

百年の人生

emptiness
〔祖母が住んでいた家。改装中〕

1月に祖母が百歳で亡くなった。
百歳の誕生日を迎えて3日目のことだった。
皆の願い通り百歳を迎え、そしてお葬式は皆の都合の良いように週末になるよう、まるで祖母がお迎えにお願いしてあちらに逝く日を決めたようなタイミングだった。

痴呆/認知症はもう何年も前から始まっており、訳の分からないことをいったり、夜徘徊したりといったことから始まった。当時は、伯父夫婦が週一回訪ねるのと、父が週末泊りがけで訪ねるだけだったので、夜徘徊したときなどは近所の方が家に連れて帰ってくださるなど、ご迷惑を掛けたようだ。

傍にいる者には、祖母の言うことがとても信じられるようなもので無いことは分かっていたが、どういう訳か、ふだん傍にいない親戚は、たまに電話をかけてくる祖母の言った全くの作り話を信じたりしていたのが驚きだった。例えば、「当時パートだった(今でも)私の母が店長になった。」などである。少し考えればそんな筈はないと分かるはずだと思うが、日常的に接していない者には祖母のボケぶりは分からなかったようだ。

この頃だったろうと思うが、介護保険が始まり、要介護の認定のための査定者が訪問したことがあった。ふだんは普通の会話もままならないのに、この時ばかりは査定者に対しにこやかに応対し、立ってみてくれと言われれば机にわずかに指を突いて立ち、何とか会話を理解しているように振舞っていた。戦前生まれの気丈さは堂に入っており、見事!としか言えない。

しかし、ボケの進行は止まるところを知らず、どんどん悪化していった。
それから便を触るようになったり、便のついた手で家の色々な場所を触ったりした。ちょうどこの頃実家に帰省していた私は、しても、してもキリのないこの苦痛な掃除を祖母の家を覗く度にした。それでも便はなかなか落ちず、襖やじゅうたんなど茶色っぽいしみが残った。(つづく)


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  1. 2010/03/24(水) 11:47:56|
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